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フンデルトヴァッサーとは|思想・建築・舞洲工場を読み解く

フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーを、螺旋、直線批判、窓の権利、五つの皮膚、建築と自然の関係、大阪・舞洲工場から読み解きます。

BY MY ARCHITECT11 MIN READ
曲線と色彩の建築

色鮮やかな塔、金色の球体、壁から育つ樹木、不ぞろいな窓。大阪・舞洲のごみ処理施設を初めて見ると、テーマパークのようだと感じるかもしれません。しかし、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの仕事を「奇抜なデザイン」で片づけると、大切な部分を取り逃がします。

彼が問い続けたのは、工業化された建築が人間の個性と自然を切り離していないか、という問題でした。色や曲線は飾りではなく、均質な外壁、反復する窓、舗装された地面へ異議を唱える手段だったのです。

呼び方について
公式財団はフンデルトヴァッサーを、画家、「建築ドクター」、環境活動家、哲学者と紹介しています。実作では建築家・技術者との協働が不可欠でした。本記事は単純に「建築家の作品集」とせず、彼の構想と、それを建物へ実装した共同作業として扱います。

フンデルトヴァッサーは何者だったか

1928年、ウィーンにフリードリヒ・ストヴァッサーとして生まれ、のちにフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーを名乗りました。戦後のヨーロッパで絵画とグラフィックを制作し、螺旋、有機的な線、鮮やかな色、異なる要素を一つずつ変化させる表現を発展させます。

1950年代から建築へ強い関心を向け、1958年には合理主義的な建築を批判する声明を発表します。1960年代には「第三の皮膚」としての家、1970年代には屋上の森や「樹木の住人」、自分の窓の周囲を住人が変える権利を模型や言葉で提案しました。

1928年の誕生から絵画、建築声明、緑化構想、実作、2000年の死去と舞洲工場完成までを示す年表
絵画だけ、建築だけに切り分けず、声明と環境活動を重ねて見る年表です。編集部作図。

1980年代以降、既存建物の外観を変える「建築ドクター」の活動や、住宅、文化施設、教会、処理施設などの計画が実現します。公式サイトは40を超える建築プロジェクトが実現したと説明しています。2000年に死去し、舞洲工場はその翌年に完成しました。

螺旋は中心と外界をつなぐ

フンデルトヴァッサーの絵に繰り返し現れる螺旋は、単なる模様ではありません。中心から外へ、外から中心へ連続し、境界を固定しない形です。直線的なグリッドが同じ単位を無限に反復するのに対し、螺旋は進むたび位置と大きさが変わります。

建築でも、均等な窓割りや平らな屋根より、曲がる輪郭、不規則な開口、土と植栽が連続する屋上を好みました。それは自然を「建物の前へ置く植木」として扱わず、建物の表面と時間の変化へ組み込もうとする考えです。

なぜ直線を批判したのか

彼は直線そのものを一本も使わなかったわけではありません。批判の対象は、人と場所の違いを消し、工業製品のように同じ住戸・同じ窓・同じ表面を反復する体系でした。経済性と衛生を求めた近代建築が、住人を匿名の番号へ変える危険を見ていたのです。

ただし、不規則なら人間的になるとも限りません。曲面は防水と施工を難しくし、色彩は維持費を要し、凹凸は清掃と点検へ影響します。彼の仕事の価値は、直線を悪、曲線を善とする図式ではなく、誰のための規格かを問い直した点にあります。

窓の権利

フンデルトヴァッサーは、住人が窓から手を伸ばせる範囲の外壁を自分で変えられるべきだと主張しました。ファサードを建築家と所有者だけの完成作品ではなく、生活者が参加する表面と捉えた考えです。

実際の共同住宅では、外壁は防水、防火、落下防止、景観、区分所有へ関わるため、誰もが自由に塗れるわけではありません。それでもこの考えは、建物の表情を「竣工時に固定された商品」とするのか、住人の時間を受け入れる「変化する環境」とするのか、という問いを残します。

五つの皮膚

身体、衣服、家、社会とアイデンティティ、地球環境を同心円で示した概念図
公式資料が示す五つの領域を、原画を複製せず独自の同心円図へ整理しました。編集部作図。

公式財団が紹介する「人間の五つの皮膚」は、第一が自然な皮膚、第二が衣服、第三が家、第四が社会的環境とアイデンティティ、第五が地球環境・生態系です。家を人体の外側にある第三の皮膚と考えることで、建築は身体と地球の中間になります。

この概念から見ると、外壁は雨を防ぐ膜だけではありません。住む人の個性を街へ伝え、同時に土、水、植物、気候へ接する境界です。建物の緑化も、環境性能を示すアイコンではなく、人が奪った地面を別の高さで返す倫理として理解できます。

一方、屋上緑化には荷重、防水、防根、排水、灌水、強風、植栽管理が必要です。思想を実装する時こそ、構造と維持管理の精度が問われます。自然に見える外観は、放置して自然にできるものではありません。

樹木を「住人」と呼ぶ

窓やテラスから育つ樹木を、彼は装飾物ではなく「樹木の住人」と捉えました。人間が賃料を払い室内を使う一方、木は酸素をつくり、ほこりを受け、木陰を与える。それぞれ異なる方法で建物へ貢献するという発想です。

現代の建築で置き換えるなら、緑化面積だけで評価せず、根が育つ土の厚さ、在来種、生物多様性、雨水、維持管理者、枯れた後の更新まで見ることです。完成写真の緑量より、十年後も生態系として続く仕組みが重要です。

不均一な床と身体感覚

フンデルトヴァッサーは、完全に平らな床を機械に適したものと見なし、わずかな起伏が足裏の感覚を呼び戻すと考えました。均質な面へ身体を合わせるのではなく、身体が環境を感じ取ることを求めたのです。

しかし公共建築では、段差、勾配、転倒、車椅子、視覚障害、搬送を考えなければなりません。起伏を思想の証明として一律に採用するのではなく、安全な主要動線を確保し、触覚的な変化を別の材料、音、光、手すりでつくる方法もあります。理念は、利用者を選別しない形へ翻訳する必要があります。

舞洲工場はなぜあの外観なのか

大阪市の公式資料によれば、舞洲工場は焼却設備と粗大ごみ処理設備を備え、公害防止と余熱利用を行う施設です。外観デザインをフンデルトヴァッサーが担当し、外壁と屋上へ木々を取り入れ、「技術とエコロジーと芸術の調和」を表現しています。

大阪の舞洲工場を技術、生態、芸術の三面から読む観察図
処理施設の機能、環境への応答、固有の表情を分けて観察します。編集部作図。

ここで重要なのは、処理施設を宮殿のように隠したことではありません。都市が毎日生み出す廃棄物を処理する巨大な機能を、見えない裏方へ押し込まず、街の記憶に残る形で提示したことです。球体や塔は遠くから施設を認識させ、異なる窓と色彩は長い外壁のスケールを分節します。

見学するなら、外観だけで帰らず、ごみの搬入、焼却、排ガス処理、熱利用、残渣の行方を学びます。鮮やかな表面と巨大な処理量の間に、自分たちの消費生活があります。芸術的外観を写真へ収めるだけでなく、なぜこの規模の施設が必要かまで考えて初めて、建物のメッセージへ近づけます。

「エコ」に見えることと環境性能

緑があり、有機的な形であれば環境負荷が低いとは限りません。建設材料、運転エネルギー、修繕、植栽管理、輸送、廃棄を含むライフサイクルで評価する必要があります。フンデルトヴァッサーの思想を現代へ受け継ぐなら、外観の模倣より、この区別を厳密にするべきでしょう。

舞洲工場も、外観の思想と、処理設備としての環境対策を分けて確認します。デザインが性能を自動的に保証するわけではなく、性能がデザインを不要にするわけでもありません。両者を同じ建物で問い続けられることに意味があります。

作品を模倣せず、考え方を使う

住宅へ多色のタイル、丸い窓、金の球を付けても、フンデルトヴァッサーの建築にはなりません。表面的な語彙を借りる前に、次の問いへ置き換えます。

  • 住人が自分の場所だと感じられる余地はあるか。
  • 同じ部材の反復へ、必要な差異をつくれるか。
  • 雨水、土、植栽、生き物を建物の運用へ組み込めるか。
  • 屋上と外壁を、街へ返せる面として使えるか。
  • 完成時だけでなく、成長、補修、老朽化を美しさへ含められるか。

小さな住まいなら、窓辺の植栽を安全に育てる、共用部の画一的なルールに参加の余白を提案する、雨水の流れを見えるようにする、といった方法があります。派手さではなく関係を変えることが中心です。

鑑賞のための五つの観察

  1. 輪郭:直線を曲げたことより、建物の大きさをどう分けたか。
  2. 窓:同じ開口の反復をどこで崩し、誰の存在を示したか。
  3. 地面:舗装、土、屋上、植栽がどこでつながるか。
  4. 時間:植物、色、素材が老いることをどう受け入れるか。
  5. 運用:誰が清掃・剪定・修繕し、機能を維持するか。

写真では色と形が先に届きます。現地では、手すり、排水溝、目地、植栽基盤、裏側の設備へ目を移します。思想が施工へ翻訳された場所と、現実との折り合いをつけた場所の両方が見えてきます。

建築史のなかでどう見るか

フンデルトヴァッサーは、近代建築の合理性に対する反動としてだけでなく、参加型デザイン、エコロジー、屋上緑化、個人と環境の関係を早くから訴えた存在として読めます。同時代にも有機的建築やポストモダン、環境運動はあり、彼一人から現代の緑化建築が生まれたわけではありません。

彼の主張には強い言葉と矛盾もあります。だからこそ礼賛か嘲笑の二択にせず、提案を現在の法規、安全、アクセシビリティ、環境評価へ通して検討する。それが作品を生きた論点として扱う方法です。

奇抜に見えるのは、私たちが均一な建物へ慣れすぎたからかもしれません。異なる窓、土のある屋上、成長する外壁を前に、日常の「普通」がどの制度と技術でできているかが浮かびます。

フンデルトヴァッサーの世界は、色の多さではなく、境界の多さにあります。身体、衣服、家、社会、地球を切り離さず、一枚ずつ重ねて考える。その視点を持てば、舞洲の塔は単なる派手な造形ではなく、都市と廃棄物と自然の関係を問い返す装置に見えてきます。

ウィーンの二つの建物を比べる

ウィーンのフンデルトヴァッサー・ハウスは共同住宅、クンスト・ハウス・ウィーンは美術館です。用途が違うため、窓の表情、来訪者の動線、公共性も違います。写真で似た色や曲線を探すより、住人のプライバシーを守る建物と、作品を公開する建物で、思想がどう翻訳されたかを比べます。

前者では個々の住戸と外観の関係、後者では既存建物の転用と展示空間が論点になります。実際に訪れる場合、住宅は人が暮らす場所です。私有部へ立ち入らず、撮影と見学のルールを守ります。建築鑑賞は住人の生活より優先されません。

色を読む三つの距離

遠景では塔と球体が都市の目印になり、中景では色面が長い外壁を小さく分け、近景ではタイル、目地、窓枠の違いが身体的な尺度をつくります。一枚の正面写真では、この距離による変化を同時に記録できません。

まず遠くから周辺の道路や水辺と撮り、次に歩行者の目線、最後に素材の納まりを観察します。色名を数えるより、どの色が形の輪郭を強め、どの色が植栽とつながり、どの部分が経年で変化したかを書くと、表面が構成として見えてきます。

維持管理も作品の時間

鮮やかな塗装、タイル、金属、植栽は、それぞれ異なる周期で補修されます。色を塗り直す時、当初色を再現するのか、変化を残すのか。樹木が成長し防水へ影響した時、どこまで剪定するのか。思想と安全を調整する判断が続きます。

完成時の写真だけを真正な姿とすると、成長する自然を重視した理念と矛盾します。一方、劣化をすべて「味」と呼べば落下や漏水を見逃します。変化を受け入れる部分と、性能上更新すべき部分を分け、記録しながら手を入れる必要があります。

写真を使う時の注意

フンデルトヴァッサーの絵画、グラフィック、建築写真には著作権・利用条件があります。検索結果の画像を保存し、出典名だけ添えて転載できるわけではありません。公式サイト、施設、撮影者の条件を確認し、必要な許諾を得ます。

教育目的の記事でも、作品画像を鑑賞用に大きく並べれば「引用」の要件を満たすとは限りません。本記事では公式資料へリンクし、思想を説明するための独自図解を使いました。現地で自分が撮影した写真も、撮影禁止区域、住人、来場者、商用利用の規則へ従います。

著作物を使わないことは、記事を弱くすることではありません。自分の観察図、動線、色の距離、植栽と排水の関係を描けば、作品写真の模倣ではない独自の理解を示せます。

参考資料

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