具体美術協会:日本現代アートの新時代を切り開いた軌跡

具体美術協会は、1954年に兵庫県芦屋市で創立された前衛美術グループです。

日本の現代アートにおいて新たな潮流を生み出し、既存の美術の枠組みを超えた実験的な表現を通じて、さまざまなアートシーンにおいて重要な役割を果たしてきました。

この記事では、具体美術協会の創立から解散に至るまでの経緯とその影響力を探ります。

具体美術協会の創立と初期の活動

具体美術協会は、吉原治良を中心に結成されました。具体の名称は「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という願いから名付けられました。

創立から3年の間は、素材そのものを際立たせるアプローチやパフォーマンスアート、野外での展示など、さまざまな形式を取り入れた活動が行われました。

具体美術協会の主なメンバーと革新的な作品

吉原治良(よしはら じろう)

画像出典:WHITESTONE

具体美術協会の設立者であり、リーダーとして活動した吉原治良は、アートの可能性を広げるために「人の真似をするな」という理念を強調しました。

彼は「円」を独自の表現方法として昇華させ、国内外で注目される存在となりました。円には特別な哲学的意味はなく、単に利便性から選ばれたという点が彼の革新性を示しています。

また、吉原は卓越した審美眼を持ち、他のメンバーの創作活動を指導しました。彼の死後もその影響は色濃く残り、具体美術の精神は今なお生き続けています。

白髪一雄(しらが かずお)

画像出典:尼崎市

白髪一雄は、日本におけるアクション・ペインティングの草分け的存在であり、具体美術協会においても重要な役割を果たしました。

彼のスタイルは、ロープにぶら下がり滑走しながら足で描く独特なもので、作品には分厚い油絵の具の残滓が残ります。

彼は1955年に具体美術協会に入会し、後にヨーロッパのアンフォルメル運動の提唱者からも高く評価されました。白髪はまた、仏教の修行を経て得度し、「白髪素道」という法名を得ています。

彼の作品は、ダイナミックでありながらストイックな美を追求し、多くの国際的な展覧会でも評価されています。

田中敦子(たなか あつこ)

画像出典:WHITESTONE

田中敦子は、具体美術協会に参加した女性アーティストの一人で、特に電気システムを用いた作品で注目を集めました。

彼女の代表作には、20個のベルをつなげた作品や、電球や管球をつけた「電気服」のパフォーマンスがあります。これらの作品は、視覚的なインパクトとともに、電気が持つ象徴性をアートに取り入れる試みとして評価されました。

田中の作品は、合成樹脂エナメル塗料を使用した滑らかな絵肌と鮮やかな色彩が特徴で、具体美術協会の初期を代表するアーティストの一人とされています。

嶋本昭三(しまもと しょうぞう)

画像出典:CARDI GALLERY

嶋本昭三は、具体美術協会の設立メンバーであり、パフォーマンスを通じたスケールの大きな創作で知られています。

彼の代表作には、鉄パイプに絵具を詰めてガスで爆発させる「大砲絵画や、絵具入りのガラス瓶を高所から叩きつける「瓶投げがあります。

これらの手法は、彼の「行為の軌跡」を強調し、具体美術の精神を体現しています。また、嶋本はメールアートにいち早く注目し、現代のアートの進化に貢献しました。

具体美術協会の転機

1950年代末には、具体美術協会は焦点を絵画に絞るようになります。特に、フランスの美術評論家ミシェル・タピエとの出会いが重要でした。彼との交流を通じて、具体美術協会は国際的な舞台に進出し、輸送しやすい平面作品にシフトしました。

この時期、具体のアーティストたちは、平面作品に新しい視点を取り入れ、国際的な展覧会に出品することでその名を広めました。

具体美術協会のメンバーは、60年代前半に新たに加わった第二世代のアーティストたちによっても変化がもたらされました。彼らは、既存のスタイルを受け継ぎながらも、独自のアプローチを模索しました。

特に、名坂有子や前川強、松谷武判といったアーティストたちは、具体の活動に新たな風を吹き込みました。

具体美術協会の成果と影響

1965年には、具体美術協会は大阪万博に参加し、国際的な注目を集めました。このイベントは、具体美術協会の活動の集大成とも言えるものであり、多くのアーティストたちが新たな表現に挑戦しました。具体のアートは、日本の戦後美術における重要な出発点として、国内外で高く評価されることとなりました。

しかし、1972年に吉原治良が急逝すると、具体美術協会は解散を余儀なくされました。彼の死は、具体美術協会にとって大きな転機となり、以降の活動は吉原の理念や精神を受け継ぐ形で続けられました。

具体美術協会の再評価

具体美術協会の活動は、2013年にニューヨークのグッゲンハイム美術館での回顧展をきっかけに再評価され、国内外で注目を集めました。これにより、具体美術協会のアーティストたちは再び注目されるようになり、彼らの作品は現代アートの市場においても評価されるようになりました。

特に、吉原治良の「人の真似をするな」という教えは、具体美術協会の精神として受け継がれています。具体美術協会のメンバーたちは、彼の理念に基づき、自由な発想と独自の表現を追求し続けました。これは、戦後の日本におけるアートの新たな潮流を生み出すことに貢献しました。

まとめ

具体美術協会は、日本の現代アートにおいて重要な役割を果たした前衛美術グループです。彼らの実験的な活動は、アートの表現方法を大きく変え、戦後日本の文化に新たな風を吹き込みました。

具体美術協会のメンバーたちは、吉原治良の教えを受け継ぎながら、自由な精神でアートに取り組み、その影響は今もなお多くのアーティストに引き継がれています。

具体美術協会の活動は、日本現代アートの新時代を切り開いたといえるでしょう。彼らの影響は、現在のアートシーンにおいても色濃く残っており、未来のアーティストたちにとっても大きなインスピレーションとなっています。